開かれた本の上にある子供と木々が立ち並ぶ世界のイラスト

『やかまし村』シリーズ ~遊ぶ子どもたちから放射される生命のエネルギー~

みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、スウェーデンの児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの『やかまし村』シリーズを紹介したいと思います。
リンドグレーンと言えば、『長くつ下のピッピ』でおなじみですよね。このコラムでも、何作品も取り上げてきました。まさしく、世界の子どもたちに愛される児童文学作家で、どれが一番面白いかと言われても、答えに迷ってしまうくらい、とにかく名作がたくさんあるのですが、その中でも『やかまし村』シリーズは、特別な輝きを放っているのではないでしょうか。
1930年代のスウェーデンの小さな村に住んでいる子どもたちの日常生活を描いた『やかまし村』シリーズは、全部で3作品あります。今回は、そんな『やかまし村』の物語とヨガのつながりを考えていきたいと思います。

世界的な名作家、アストリッド・リンドグレーン

スウェーデンのヴィンメルビューの街の風景

リンドグレーンについては、このコラムでも過去に何度も紹介していますが、もう一度簡単に触れておきたいと思います。リンドグレーンは、1907年にスウェーデン南東部のヴィンメルビューで生まれます。この場所で、遊んで遊んで遊びまくった幸せな時代を送ったそうです。『やかまし村』シリーズでは、その楽しかった遊び体験が見事に反映されています。

スウェーデンの子どもたちの日常生活を愉快に描いた『やかまし村』シリーズや『名探偵カッレくん』シリーズ、ファンタジー世界を舞台にした『山賊のむすめローニャ』や『はるかな国の兄弟』など、様々なジャンルの名作を、世界の子どもたちにたくさん贈りました。
彼女の作品は、世界の70か国以上で翻訳され、100以上の国で出版されているそうですよ。まさに、時代を越え、国を超えて愛される世界的な名作家ですね。

子どもたちの遊びにあふれた物語

光に向かって草原を走る子供達の後ろ姿

『やかまし村』シリーズは、時代背景としては1930年代。舞台はスウェーデンのセヴェストルプと呼ばれる小さな村です。この村は、リンドグレーンのお父さんが育った村なんだそうですよ。
物語に登場する3軒の家はリンドグレーンの祖父母が住んでいた家で、今でも残されているそうです。

さて、物語の主人公であり語り手でもあるリーサは、7歳の女の子。9歳の兄ラッセと、8歳の兄ボッセと共に、やかまし村の中屋敷と呼ばれる家で暮らしています。
すぐ隣には、南屋敷と呼ばれる家があり、そこには、8歳の男の子オッレが暮らしています。
そして、反対側の隣には北屋敷と呼ばれる家があり、ここには、9歳の女の子ブリッタと、7歳の女の子アンナが暮らしています。

やかまし村の子どもは全部でこの6人だけです。(物語の途中で、シャスティンというオッレの妹が生まれますが)基本的には、この6人の子どもたちがやかまし村で、どんなに楽しく、どんなに愉快に、どんなに素敵に遊び暮らしているかということを、これでもか、これでもかというくらいに描かれている物語なのです。

本当にその自由な遊びっぷりときたら、うらやましくなるくらいです。
3軒の家と家の間には、大きな木があって、その木の枝を伝って行けば、子どもたちは自由にあっちの家から、こっちの家に渡っていくことができます。
ですから、リーサたちは実に自由に木の枝を伝って、友達の家に遊びに行ったり戻っていったりしているわけです。
さらに、干し草小屋の中で寝てみたり、家出を計画してみたり、男の子グループと女の子グループでそれぞれ秘密の遊び小屋を作ってみたり。
おままごとをしたり、おにごっこをしたり。水の精を見に行くかと思ったら、カエルをつかまえては王子様かもしれないからキスしたらどうかと大騒ぎしてみたり。
夏休みには、宝物を探しに湖の島に繰り出しますし、冬にはスケートで楽しく遊び回ります。
そして、年に一度は、夕方暗くなってから、森の奥の湖でザリガニを捕るために、お父さんたちと共に暗い森に分け入ります。そして、森の中に小屋を建てて、一晩を過ごすというちょっとドキドキする冒険だってするのです。

「わたし、やかまし村にすんでないひとは、きのどくだとおもうわ」

アストリッド・リンドグレーン.訳 大塚勇三.『やかまし村はいつもにぎやか』. 岩波書店.2018.p,221

とアンナがリーサに言っていますが、やかまし村の子どもになってみたいとあこがれてしまうくらい、本当に楽しげな雰囲気であふれているのです。

子どもたちが楽しく遊んでいるだけのお話なんて退屈だと思うかもしれませんが、リンドグレーンの物語に限って、そんなわけはありません。『やかまし村』の物語を読み進めていると、胸が温かくなり、幸せな気持ちになります。
子どもたちが遊んでいる物語を読んでいるだけなのに、どうして、こんなにも胸が温かくなるのでしょう。

あふれるばかりの生命の炎

レンガの釜戸の中で燃える炎

『やかまし村』シリーズの3作品目『やかまし村はいつもにぎやか』の後ろには、作家の長谷川摂子氏が書いた「やかまし村賛歌」が掲載されています。
そこには、次のように書かれています。

わたしたちは生きものです。生きているということは身体の奥に生命力の炎を燃やしている、ということ。その火の力で体も心も温まってこそ、さまざまな活動にとり組むことができるのではないでしょうか。
(略)
人間は、その火をかまどのなかに閉じこめつつ、燃やさなければならないのです。生産活動のための組織、習慣や制度、さまざまな人間関係をまとめる社会秩序、やくそくごと、そんなかまどで生命の火をじょうずに囲って生きているのです。
しかし、その規制があまりにつよくなり、かまどのレンガが二重三重に厚くなったら、もし、酸素をおくるかまど口までふさがれてしまったら、人間はどうなるでしょうか。心も体も冷え冷えとし、エネルギーが萎え細り、体調がわるくなったり、無気力になったりし、人生は憂鬱になってきます。

アストリッド・リンドグレーン.訳 大塚勇三.『やかまし村はいつもにぎやか』. 岩波書店.2018.pp,233-234

制度や秩序といったものは、もちろん、必要です。それなしに、現実世界を生きていくことはできません。
けれども、ヨガでは、制度や秩序、習慣や制度、そういった縛りは全て取り払わないといけないと言われます。そういった縛りを解き放って自由になることが何よりも重要であり、そのためにヨガの修行をしなければならないというのです。

縛りがあまりに強くなってしまった時、つまり、かまどのレンガが厚くなりすぎてしまった時、生命の炎が身体の隅々まで行きわたらず、身体も心も冷え冷えしてしまいます。その感覚はわかるという方も多いのではないでしょうか。けれども、やかまし村の子どもたちのようなまだ幼い子どもたちは、制度や秩序といった縛りに、まだそんなには強く縛られていません。かまどのレンガはとても薄く、生命の炎は、子どもたちの中で、自由に燃え盛っています。

私は最近、近所の児童館で働いているのですが、そこに来る7~9歳くらいのちょうどやかまし村の子どもたちと同じ年齢の子たちを見ていると、子どもたちの中で生命の炎がボンボン燃え盛っていることを、ひしひしと感じます。
子どもたちは元気いっぱいで、とにかく叫びまくります。子どもたちが友達と遊びながら騒ぐ「きゃあああああああ~! ぎゃああああああ~! わああああああああ~!!!!」という声で、こちらの耳はつぶれそう。
友達と楽しく遊べば遊ぶほど、エネルギーは底なしに湧いてくるらしく、何時間でも疲れを知らず、ギャアギャアワアワア騒いでいるのです。

遊びなんて、特に役に立つものではありません。リーサも、こんな風に書いています。

わたしたちは、鬼ごっこをやりました。(略)牝牛たちは、目をみはって、わたしたちをみつめていました。なんで人間は鬼ごっこなんかするのか、牝牛には、きっとわからないでしょう。といって、よくかんがえてみると、わたしにも、なぜだかはわかりません。でも、なにしろ、鬼ごっこは、おもしろいんです。

アストリッド・リンドグレーン.訳 大塚勇三.『やかまし村の春・夏・秋・冬』. 岩波書店.2018.pp,68-69

なぜそんなことをやるのかよくわからないけれども、でも、何しろ、面白いもの。それが遊びです。こうしなければならないとか、ああしなければならないという縛りから自由になり、やりたいまま、本能のままにやるのが遊びです。
そんな遊びこそが、子どもたちの生命の炎をかきたてる原動力になっているのだと長谷川摂子氏も書いていましたが、本当にその通りだと私も思います。

サットヴァの正体

月が輝く夜の森の風景

やかまし村の子どもたちは、自然たっぷりの中で暮らしています。スマホもゲームもありません。牧場や森、湖や野原で、元気に駆け回って遊びます。このスウェーデンの自然こそが、やかまし村の子どもたちの底なしの生命力を引き出しているような気がしてなりません。

リーサは、夜の森にザリガニを捕りに行って、一晩、森に泊まった時のことをこんな風に書いています。

わたしは、ながいこと目をさましていて、森がザワザワいうのをきいていました。森は、ほんとに小声でザワザワいっています。それから、小さい波が岸にうちよせて、かすかな音をたてています。それは、とてもふしぎな感じがして、……ふいに、わたしは、じぶんがかなしいのか、うれしいのか、わからなくなりました。わたしは、ねたまま、じぶんがかなしいのか、うれしいのか、はっきりさせようとしましたが、よくわかりませんでした。

アストリッド・リンドグレーン.訳 大塚勇三.『やかまし村はいつもにぎやか』. 岩波書店.2018.pp,217-218

夜の森というもの、湖や野原、自然というものは何者にも縛られていない、生命力そのものの存在です。ヨガでは、サットヴァという言葉を純粋なものと訳されたりしますけれども、私は、サットヴァとは、自然の中にみなぎっている生命力のことではないかと思えてなりません。そんな豊かな自然に囲まれているやかまし村の子どもたちの中に燃え盛る生命力の炎こそが、サットヴァの正体なのではないかと私は思っているのですが、みなさんはいかがでしょうか。

『やかまし村』シリーズでは、生命の炎をみなぎらせ、自然の中で遊んで遊んで遊びまくる子どもたちの様子が、次々に描かれます。きっと、自然たっぷりのやかまし村で遊ぶ子どもたちから放射されるエネルギーの熱で、読者の私たちの胸は、温かくなるのでしょう。

習い事やゲームで疲れているという子どもたちにも、この頃疲れているという大人のみなさまにも、ぜひ、『やかまし村』シリーズを読んでいただきたいと思います。きっと、やかまし村の子どもたちの溢れるばかりの生命力で、こちらまで温かくなることができると思います。