みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、カナダの小説家、ルーシー・モード・モンゴメリの『エミリーブックス』3部作について取り上げたいと思います。
モンゴメリという名前をご存じなくても、『赤毛のアン』の作者だと言えば、多くの方が、よくわかって下さると思います。
モンゴメリは、『赤毛のアン』をはじめとして、数多くの傑作を次々に、世に送りました。私はモンゴメリの作品が大好きなので、このコラムでも、しばしば取り上げています。
『赤毛のアン』は、あまりにも有名ですが、エミリーもまた、ファンの間ではとても有名です。アンよりもエミリーの方が好きという方も、いらっしゃるくらいです。
そんなわけで今回は、モンゴメリが生み出した少女エミリーとヨガのつながりについて考えていきたいと思います。
モンゴメリの自伝的要素が強いエミリー

著者のモンゴメリは、1874年カナダのプリンス・エドワード島で生まれました。
エミリーブックスの第一部『可愛いエミリー』を書き始めたのは、1921年。モンゴメリは、すでに、『赤毛のアン』で世界的な人気作家となっており、牧師の妻として、また人気作家として、多忙な日々を送っていました。そんな中、生み出されたのが、エミリー・バード・スターという少女の物語だったのです。
このエミリーという少女は、モンゴメリの自伝的要素が強く入っていました。モンゴメリは、仲の良いペンフレンド宛ての手紙に、こんなことを書き送っています。
L.M.モンゴメリ、すなわちアンだと考えている人は間違っています。(略)
でもエミリーは、ある点では、わたしの分身といっていいでしょう。M.ギレン.訳 中村妙子.『赤毛のアンの世界~作者モンゴメリの生きた日々~』. 新潮社.1988.p,169
エミリーは、書くことに情熱を燃やしている少女であり、モンゴメリも同様でした。
モンゴメリは、1歳の時に母が亡くなったので、厳格な祖父母に育てられました。エミリーも幼い頃に両親を亡くし、厳格で年老いた親戚に育てられます。
また、モンゴメリは先祖への誇りを持っていたそうですが、エミリーも先祖への誇りを強く持っている少女です。様々な点で、エミリーはモンゴメリの分身といえる存在なのですね。
ニュームーンのエミリー

物語は、エミリーが8歳の時から始まります。エミリーの母は彼女が4歳の時に亡くなっていたので、最愛の父と二人で、人里離れた田舎で暮らしていました。父は物を書く人で、芸術家気質でした。エミリーはその性質を、父からそっくりそのまま受けついでいました。父とエミリーはお互いによく理解し合い、愛し合って暮らしていたのです。
けれども、物語の第一章で、エミリーは最愛の父を病気で亡くすという不幸に見舞われます。
エミリーは孤児になってしまったのです。
悲しみに沈む彼女のもとに現れたのは、母の親戚であるマレー家の人々でした。
エミリーは、マレー家の人々に一度も会ったことはありませんでした。というのも、エミリーの両親は駆け落ちをして、家族と縁を切っていたからです。エミリーの父は、マレー家の人々からひどいことを言われた経験があり、彼らのことをよく思っていませんでした。そのことを知っていたエミリーは、マレー家の人々は悪い人たちだと、出会う前から思いこみます。
そうは言っても、天涯孤独なエミリーは、マレー家の人々に養ってもらうより他、仕方がありませんでした。
マレー家の人たちは誰も、エミリーを引き取って育てるなんて面倒くさいことはしたくありませんでした。でも、誰かが引き取らないと仕方がないということで、くじ引きでエミリーの育ての親を決めることにします。
くじびきの結果、プリンスエドワード島のニュームーンという農家に住んでいるエリザベス叔母、ローラ叔母、ジミーさんという3人の親戚が、エミリーを育てることになりました。
『可愛いエミリー』では、ニュームーンでのエミリーの暮らしぶりが描かれます。
物を書く人

ニュームーンを取り仕切っているのは、年老いた独身のエリザベス叔母でした。エリザベス叔母はものすごく厳格で頑固な人で、エミリーを厳しく育てます。
エミリーは厳しすぎるエリザベス叔母と、何度も衝突しますが、大抵は、子どもであるエミリーが折れなければなりませんでした。
けれども、ある日、エミリーが決して折れることができない事件が起きました。
エミリーは、亡くなった父宛ての手紙という形で、日々の出来事を、古い紙につづっていました。エミリーは物を書く人で、いつも何かを書かずにはいられない性質を持っていたのです。
苦しい事や悲しい事も、父に宛てる手紙という形で書いてしまえば、不思議なほど、心が楽になりました。その手紙をエミリーは何年もこっそり書き続け、屋根裏部屋の隅に隠していました。
その中にはエリザベス叔母のことを書いた手紙がずいぶんたくさんあったが、たいていはかなり歯に衣を着せない書き方だったし、中には、だいぶ大げさに書かれたものもあった。それらの手紙を書いたのは、彼女の傷ついた怒れる魂が感情のはけ口を要求して、彼女のペンに怨みのとげをつけさせた時だったのだ。エミリーは気のむきしだいで、どんな意地悪な書きかたでも、思いのままだった。それらの手紙を書いてしまえば、痛みはとまり、もうそのことは考えなくなるのだった。
L. M.モンゴメリ.訳 村岡花子.『可愛いエミリー』. 新潮社.1991.p,452
ところが、ある日、屋根裏部屋の掃除をしていたエリザベス叔母さんは、たまたま、エミリーが亡くなった父宛てに書いた手紙を、すっかり読んでしまいます。
自分のことを悪く書いていることに怒ったエリザベス叔母さんは、エミリーを呼び出します。
エミリーは、エリザベス叔母に何を叱られるんだろうと最初は不安に思っていましたが、父宛ての手紙をエリザベス叔母が勝手に読んだのだと悟ったとたん、怒りで我を忘れてしまいました。それは、亡くなったお父さんだけが読んでいいもので、他の人が読むものではなかったからです。
電光石火のような速さで、エミリーは叔母にとびかかると、手紙の束をひったくって、扉のところまでまいもどった。そこまできて、エミリーは、エリザベス叔母のほうをむいた。エミリーの顔は怒りにもえていた。彼女の魂の最も神聖な奥ふかい所が、けがされたのだ。
「よくも叔母さんは」と彼女は言った。「よくも、叔母さんはあたしの内証の手紙に手をふれたわね。エリザベス叔母さん」L. M.モンゴメリ.訳 村岡花子.『可愛いエミリー』. 新潮社.1991.p,454
エリザベス叔母さんは、他人のものをいつも盗み読みしているわけではありません。大人の物だったら決して盗み読みをしたりしないのですが、自分が育てている子どもの書いた物は、何でも読んでいいと思っていました。
ですから、エリザベス叔母さんは、エミリーの怒りっぷりに仰天し、彼女を恩知らずとののしります。そして、手紙をすぐに破ってしまうように命じましたが、エミリーは、それはできないと頑として断りました。
エリザベス叔母さんも言い出したら決して引かない性格ではありましたが、エミリーの頑固ぶりには屈服し、こんな捨て台詞を吐いて降参します。
「手紙は自分で持ってなさい」と、叔母はにがにがしげに言った。「そして、あんたを自分の家に引きとったおばあさんをののしるといいわ」
L. M.モンゴメリ.訳 村岡花子.『可愛いエミリー』. 新潮社.1991.p,456
この後、エミリーは、エリザベス叔母さんを悪く書いて、叔母さんの心を傷つけたことをとても後悔して謝ることになるのですが、このエピソードからもわかる通り、ここぞという時、エミリーは決して、屈服しません。
エミリーは小説や詩を書くのが大好きで、いつもたくさん書いているのですが、エリザベス叔母さんはそれをよく思っていません。詩はとにかく、小説は罪深いものだと固く信じ込んでいたのです。
エリザベス叔母さんは、どんなことがあっても、エミリーに小説を書くのをやめさせようと務めますが、全くうまくいきませんでした。
エリザベス叔母が彼女に、レース編みや、タフィーづくりをやめろとか、ローラ叔母のつくったクッキーを食べるのをよせと言ったなら、エミリーは、そういうことがすきだったけれども、喜んで言いつけどおりにやめたかもしれない。しかし、物語を書くのをやめろなんて……息をするのをやめろと、エリザベス叔母がエミリーに言いつけているのと、それは同じことだった。
L. M.モンゴメリ.訳 村岡花子.『可愛いエミリー』. 新潮社.1991.p,449
高校に行かせる代わりに物を書くなとか、エリザベス叔母さんは様々な条件を持ち出して、エミリーの書くクセを直そうとしますが、エミリーはそのことだけは絶対にゆずりませんでした。
エミリーは、物を書き続けるという信念は決して曲げない人なのです。
自分を支える強い軸

エミリーは、自分の価値観や考え方をしっかりと持っている人です。幼い頃から持っていて、それは決して曲げません。特に、物を書くということに関しては、一歩も、ゆずろうとしません。
エミリーの確固たる軸は、もしかしたら、最大の理解者であった父と暮らした8年間に、培われたものだったかもしれません。
ヨガでは、自分の軸を持つことがとても大切だと言われています。自分の軸を持っていれば、どんな困難に出会った時でも、自分をしっかりと支えてくれる助けになるからです。
エミリーは、最愛の父を亡くした8歳の時から、大変な道を歩んできましたよね。
悪い人ではないけれど、理解がなく、またとても頑固で厳格なエリザベス叔母さんに育てられ、時には誤解されたり、心を傷つけられることもありました。
そんな中、どんなことがあっても書き続けるという強い信念が、彼女を支え続けました。それがあったからこそ、誤解を受けたり、傷つけられたりしながらも自分らしく成長できたのです。
そしてこの先も、エミリーは親友と深刻な仲たがいをしたり、恋に悩んだり、孤独に苦しんだりと、様々な困難にぶつかりますが、そんな時に彼女を支えたのは、書くことそのものでした。
後にエミリーが出会うカーベンター先生という恩師に、彼女はこんなことを聞かれます。
「もし君が一生涯、ものすごく貧乏だとわかったら……もし自分の書いたものの一行も出版してもらうことができないとわかっていたら……それでも、君はまだ書くのをやめないかね。どうかね」
L. M.モンゴメリ.訳 村岡花子.『可愛いエミリー』. 新潮社.1991.p,495
それに対して、エミリーはキッパリとこう答えます。
「もちろん、あたしやめませんわ」と、エミリーは傲然と言った。「だって、あたし書かないでいられないんですもの。ときどき書かないではいられないんです。ほんとにそうなんです」
L. M.モンゴメリ.訳 村岡花子.『可愛いエミリー』. 新潮社.1991.p,496
一行も出版してもらうことができないとしても書き続けるというエミリーの強い信念は、まさしく、モンゴメリの持っていた情熱であったことでしょう。
モンゴメリのこの強い情熱が、アン・シャーリーや、エミリー・バード・スターという魅力的な少女たちを生み出してくれたのです。
私は、アン・シャーリーも大好きですが、エミリー・バード・スターもとても好きで、何度も何度も読みました。まだエミリーは読んだことがないという方は、ぜひ、読んでみて下さいね! アンとはまたちょっと違った魅力を持つエミリーの物語を、きっとお楽しみいただけると思います。











