みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、SFの父として名高い、ジューヌ・ベルヌの名作『二年間の休暇』を取り上げたいと思います。
日本では、『十五少年漂流記』という題名で非常に有名ですよね。ニュージーランドに住む15人の少年たちが無人島に流されて、2年間、子どもたちだけで無人島生活を乗り切っていくサバイバル小説です。少年だけで無人島生活を乗り切っていくなんて、考えただけでドキドキする設定ですよね。
これまでのコラムで、ジューヌ・ベルヌの作品としては『神秘の島』を取り上げましたが、今回はより有名な『二年間の休暇』とヨガとのつながりを考えていきたいと思います。
SFの父、ジューヌ・ベルヌ

著者のジューヌ・ベルヌは、1828年、フランスの港町ナントで生まれます。母の先祖が船主をしていた影響か、ベルヌには幼い頃から海への強い憧れがありました。11歳の夏には、いとこのカロリーヌに珊瑚の首飾りを贈りたいと、何と、ひそかに見習い水夫になって、帆船に乗り込んだということです。でもその時、父に見つかってしまって叱られ、航海は夢の中でしかしないと誓ったのだそうです。
1848年、法律家の父の希望もあって、パリの法律学校へ進学します。そこで、アレクサンドル・デュマ父子との交流の影響で、劇作家を志すようになります。
1850年には『麦わらの賭け』という喜劇で、文壇デビュー。その後も詩や戯曲、喜劇、オペラなど書き続けますが、それらのほとんどは上演されることなく終わります。しかし、一方でベルヌは、当時に目覚ましい発達をした自然科学に刺激され、科学小説の創作を志すようになります。
1851年、『メキシコ処女航海』、『気球旅行』を発表して大評判になり、一躍人気作家となるとその後も、飛行船、ヘリコプター、ロケット、原子力潜水艦、空想走行車、人造人間、透明人間などが登場する空想科学小説を発表し続け、SFの父と呼ばれるようになりました。
『二年間の休暇』は、1888年、ベルヌが60歳の時の作品です。空想科学小説ではありませんが、ベルヌの冒険心が遺憾なく発揮された名作中の名作と言えるでしょう。
押し流された少年たちの船

2年間の無人島生活を送ることになる少年たちは、ニュージーランドの首都オークランド市のチェアマン寄宿学校という非常に有名な学校の生徒たちです。どの生徒も、イギリス人、フランス人、アメリカ人などで、しかも、この地方の地主、金持ち、貿易商、官吏の息子なのだそうです。つまり、裕福な家庭の少年たちということですね。
少年たちはなぜ、無人島生活を送ることになったのでしょう。
1860年2月、ニュージーランドの学校では2か月の休暇が始まりました。この休暇を利用して、少年たちはスラウギ号という船に乗り、ニュージーランドの海岸を一回りする予定だったのです。もちろん、信頼できる船乗りの大人が船を操縦する事になっていたのは、言うまでもありません。
ところが、出発の前夜、事件が起こります。
少年たちは船に乗り込み、船室で眠りについていました。船長や、大人の水夫たちはウイスキーを飲みに出かけていて、まだ船に乗り込んでいませんでした。
ところが、その最中、どういうわけか、船のともづなが解かれてしまい、少年たちが乗っていた船は、海に流されてしまったのです。眠っていた少年たちはしばらく何も気がつきませんでした。そして、何かおかしいと気がついた時には、すでに船は太平洋を漂っていたのでした。
船には、見習い水夫の12歳の少年黒人のモコが乗っており、モコは必死で船を港へ戻そうと務めます。けれども、少年たちの力では帆は重すぎてうまく張ることができませんでした。
そのため、船をうまくあやつることができないまま、船はどんどん陸から遠く離れた太平洋の真ん中へ、押し流されてしまったのです。
果てしない海上には何一つ見えなかった。だいたい、このあたりは、船がめったに通らないのだ。オーストララシアとアメリカの間を往復する船は、もっと南か、もっと北を航行することになっている。少年たちがいくら見わたしても、帆影ひとつ見えないのはあたりまえである。ふたたび夜がやってきた。天気はいっそう悪くなった。強風がときどきやわらぐことはあったが、たえず西から吹いていた。
航海がいつまでつづくのか、少年たちには、想像もつかなかった。かれらには、スクーナー(スラウギ号のこと)を自由にあやつって、ニュージーランド海域まで引きもどすことなど、とてもできない相談である。帆を張る力はないし、進路を変更することも知らないからだ。ジューヌ・ベルヌ.『二年間の休暇』. 福音館書店.1981.p,54
こんな恐ろしい状態で、スラウギ号が太平洋を漂っていた数日後、嵐が起こってしまいます。
そんな状態で、少年たちが生き延びることができるなんて、誰が想像できるでしょうか。少年たちが絶望しきってしまってもムリはない状態だと言えるのではないでしょうか。
ところが、まだ13歳にしかならないフランス人の少年ブリアンは、勇敢でした。フランスからニュージーランドに船でやってきた時に、航海した経験がいくらかあったおかげで、他の少年よりも船の操縦になじんでいた彼は、率先して指揮を取り、沈没の危険を避けようと精一杯務めます。
ブリアンたちは、最善をつくして、船が横倒しになるのを警戒していた。
「どうしよう?」と、ドニファンがいった。
「できるだけのことをするんだ。あとは、運を天にまかせよう」
ブリアン少年は、こういってのけた。元気いっぱいのおとなだって、あきらめかねないところだったのに……」ジューヌ・ベルヌ.『二年間の休暇』. 福音館書店.1981.pp,5-6
このブリアン少年と、最年長の14歳少年ゴードンと、13歳のドニファン、それに12歳の見習い水夫のモコの4人は、他の小さな少年たちに船室から出ないように言い渡し、必死で嵐と戦います。
少年たちの努力の甲斐あって、船は嵐を乗り切ります。嵐が収まって来たころ、とうとう陸地が見えてきました。
こうして、スラウギ号は、泡立った波の中を、一気に砂浜まで運ばれ、がけ下の林から約20フィート離れた砂丘にどすんとぶつかった。今や、船は、しっかりした陸地にくぎづけになったのだ。大波が引くと、砂浜があらわれてきた。
ジューヌ・ベルヌ.『二年間の休暇』. 福音館書店.1981.p,39
ここが無人島でした。船がもう操縦不能となってしまった今、少年たちは助けが来ない限り、無人島から脱出できなくなってしまったのです。
少年たちの家族は、嵐で船は沈没してしまったのだろうと思い込んでしまっており、まさか、遠く離れた無人島で少年たちが生き延びているなんて思いもしませんでした。
というわけで、少年たちの無人島生活が幕を開けるというわけです。
少年たちの無人島サバイバル

無人島に流されるなんて、大人でも心細い状態ではないでしょうか。それなのに、上は14歳、下はわずか8歳という少年たちは、決してくじけません。少年たちのくじけないことに、まず驚嘆してしまいます。
すでに、ブリアン少年が勇敢であることは紹介しましたよね。
それだけでなく、最年長の14歳のゴードン少年も、大人顔負けの冷静さを備えており、危機に瀕した少年たちに、こんな言葉を投げかけます。
みんな、落ち着けよ。ぼくたちは、まだ子どもだけど、おとなのように慎重にやろうじゃないか。ぼくたちは、むずかしい立場に追いこまれているんだよ。軽はずみなことをすれば、いっそうひどいことになる。
ジューヌ・ベルヌ.『二年間の休暇』. 福音館書店.1981.p,93
こんな言葉、大人でもなかなか言えないのではないでしょうか。無人島に流されてしまって帰る手段も見つからないなんて、私だったらパニックになるか、騒ぐか、泣くかしてしまうような気がしてなりません。
でも、ゴードン少年は落ち着いて、大人のように慎重にやろうと言って、みんなをなだめるのです。そしてまた、少年たちもゴードンに応え、誰一人取り乱す者はいません。どの子もめいめいが、出来る限りの事を精一杯して、働くのです。そして、無人島で生き延びるためには、それこそが重要なことだと、作者のベルヌも書いています。
これから先、さまざまな災難に見舞われた時、少年たちの判断が幼稚だったり、いつまでも、子どもっぽく無分別に行動したり、その上、仲間割れが起こったりしたら、ただでさえ危険な状態は、ますます悪くなる一方だろう。
ジューヌ・ベルヌ.『二年間の休暇』. 福音館書店.1981.p,95
少年たちは、沈着なゴードンや、勇敢なブリアン、優秀なドニファンという3人の年上の少年たちの指揮の下、洞穴にフレンチ・デンと名付けてそこを住処にしたり、狩りをしたり、家畜まで育ててみたりと、無人島生活で立派に生き延びていきます。
氷点下14度という途方もない寒波に見舞われたり、カンテラに使う油が無くなったため、自分たちで油を確保しなければならなかったり、やっと大人が無人島に漂流してきたと思ったら、それが人殺し集団で闘わなければならなかったりと、少年たちの困難は語りつくせないほどです。
大人でも心が折れかねない危険に、常に冷静に立ち向かい、自分たちに出来ることを精一杯やってのけた少年たちは、少年ヨギーだと言って良いのではないでしょうか。
みなさんは、どうお考えになりますか?
世界の象徴

少年たちは、立派に無人島生活を乗り切ってきたとはいえ、常に一致団結して、協力できていたわけではありません。
少年たちの中でも年上で勇敢なブリアンは13歳ですが、常に冷静なゴードンと共に、小さい仲間たちを助け、数々の危機を救います。ところが、そんなブリアンと仲の悪い少年もいました。
それが、同じく13歳でイギリス人のドニファン。彼は非常に優秀で、狩りの腕前も確かなので、無人島生活に欠かせない存在ではあるのですが、学校時代から仲の悪いブリアンと、しょっちゅう衝突し、時には殴り合いの喧嘩にまで発展しそうになったりしてしまいます。
そのたびに、アメリカ人のゴードンが2人をいさめてきたのですが、無人島生活が長引くにつれ、2人の衝突はひどくなっていき、とうとうある日、ドニファンは、みんなのいる洞穴から出て、別行動をすると言い出すようになってしまいました。
無人島生活という困難な中では、協力こそが大切です。けれども、ドニファンはこれ以上、ブリアンにガマンできないと、自分の味方である3人の少年を連れて、出ていってしまいました。
ところで、この仲の悪い2人の少年が、フランス人とイギリス人だということは非常に象徴的なことではないかと、あとがきには書かれています。
この物語が書かれた1888年前後のフランスは、産業革命によって市民生活が豊かになって、鉄道が発達し、世界に目を向けられていた時代でした。特に、フランスはイギリスと競い合い、そこにドイツも絡んできて、ヨーロッパ各国は複雑な利害関係に陥って、それが、第一次世界大戦につながっていったのだそうです。
このような、いわばヨーロッパのたそがれのきざしを鋭く感じ取った晩年のベルヌには、諸国間に協調の精神を復活させたいという切実な願いを、少年たちのささやかな集団の中で実現させたいという気持があったのではないでしょうか。
ジューヌ・ベルヌ.『二年間の休暇』. 福音館書店.1981.あとがき
イギリス人のドニファンと、フランス人のブリアンが衝突し合うというのは、確かに、当時のヨーロッパの象徴であるようにも思えます。
物語の中でも、2人の衝突はとても深刻に描かれます。けれども最後には、黒ヒョウに襲われそうになったドニファンを、ブリアンがナイフ1つで見事に救ったことをきっかけに仲直りをし、共に困難に立ち向かうようになるのです。
ブリアンがドニファンの生命を助けた時、そこにはフランス人だからとか、イギリス人だからというこだわりは、まるでありませんでした。困難を乗り越える時に何より大切なのは、そのこだわりを捨てることだと、私には思えてなりません。
ヨガでは、フランス人だからとか、イギリス人だからとか、そういった縛りを取り払い、1人の人間としてお互いを見ることが重要だと言われます。困難を乗り越える時には、人種間のこだわりは足かせにしかならないことが、この物語を読んだらとてもよくわかります。
そして、ベルヌがこの物語に託した教訓は、各国で戦争や争いが絶えない現代も考えるべきことではないかと、私は心から思います。
時代を超えて、国を超えて愛される『二年間の休暇』は間違いなく、不朽の名作です。まだ読んだことがないという方はぜひ読んでみて下さいね。そして、昔、読んだことがあるという方も、この機会に読み直してみて下さい。前に読んだ時には気が付かなかった発見が、たくさんあると思います。












