みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、佐藤さとるの『おおきなきがほしい』を紹介したいと思います。
子どもの頃、この絵本が家にあってよく読んだものですが、本の中に出てくる大きな木が楽しそうで、絵本を読みながらとてもワクワクしたことを今でもよく覚えています。
小さい頃の私は、木登りは全然できませんでしたが、それでもこの絵本に出てくるような大きな木に登りたいなあと、あこがれたものでした。
そんな大きな木の絵本とヨガにはどのような関係があるのでしょうか? みなさんと共に、考えていきたいと思います。
ファンタジーの名手、佐藤さとる

著者の佐藤さとるは、1928年に神奈川県で生まれ、幼い頃からイソッブ物語やアンデルセン、グリム童話などに触れながら育ちました。
終戦後の1946年から日本童話会に入会し、童話の創作をはじめます。大学卒業後は、実業之日本社で編集者生活を行いながら童話の創作に励み、1959年に日本のファンタジー小説の先駆けともいうべき作品である『だれも知らない小さな国』を出版します。この本は、毎日出版文化賞や国際アンデルセン賞国内賞などを受賞しました。それ以後、数多くの作品を世に送りつづけ、多数の賞を受賞しています。
今回紹介する『おおきなきがほしい』は1971年の作品で、ライプツィヒ国際図書デザイン展銅賞を受賞しています。時代を超えて、現在も多くの人に愛される名作絵本です。
男の子の空想の木

主人公のかおるは、大きな大きな木が欲しいな、と思っている男の子です。冒頭は、こんな具合に始まります。
「おおきな おおきな 木があると いいな。ねえ おかあさん」
まどから かおを だして、かおるが いいました。
にわさきで、せんたくものを ほしていた おかあさんは、てを うごかしながら こたえました。そとは ほんとに いい てんきです。
「おや、まあ、どうしてなの。」
「どうしてって、ねえ おかあさん。おおきくて たかい たかい木にのぼってみたいと おもわない?」文 佐藤さとる.絵 村上勉.『おおきなきがほしい』. 偕成社.1971.p,2
お母さんは、小さい頃に木登りをして楽しかったことを思い出し、かおるにこう答えます。
「ほんとうに 木のぼりが できるような、おおきな 木が おにわにあるといいわねえ」
文 佐藤さとる.絵 村上勉.『おおきなきがほしい』. 偕成社.1971.p,3
実際には、かおるの家の庭はとても狭くて、木登りもできないような小さな木が数本あるだけです。かおるはため息をつき、うんと大きな大きな木があったらいいなあと考えます。
そして、どんなに素敵で大きな木があったらいいだろうかと想像を繰り広げていくのですが、それが本当にワクワクするような素敵な木なんです。
(かおるが考えている木は)うーんと ふとくて、もちろん、かおる ひとりで てを まわしたくらいでは かかえられないような ふとい 木です。
おとうさんと おかあさんと、それに いもうとのかよちゃんにも てつだってもらって、やっとかかえられるような、そんなおおきな木でなくては いけないのです。文 佐藤さとる.絵 村上勉.『おおきなきがほしい』. 偕成社.1971.p,5
だから、かおるの空想の木には、はしごがかけてあり、そのはしごは縄でしっかりと縛ってあります。そのはしごをずうっと上っていくと、枝が3つに別れている場所があるのですが、そこに何と、かおるは小屋を建てていつでも住めるようにしています。その小屋には、キッチンとベッドまでそなえつけてあるのですから、秘密基地みたいでワクワクしますよね。
はしごはさらに上まで続いていて、そこをずっと上っていくと、ヤマガラの巣があったり、リスの巣があったりしますが、ヤマガラもリスも、かおるを怖がりません。かおるにとても慣れていて、仲良しなくらいなのです。
そして、その木をてっぺん近くまで上っていくと、手すりのついている見晴台があります。ヤマガラがたくさん飛んでくるその見晴台からは、遠くまで見晴らせるのです。
みはらしだいからは、とおくの 山が みえます。
まちも、ちらちら みえています。じどうしゃが、かぶとむしみたいに ちいさく みえます。
おおきな 木の てっぺんに ちかいので、ずっと とおくまで みわたせるのです。
かぜが、さっと ふいてきて、かおるの かみのけを そよがせます。はっぱも、さわさわと おとを たてるでしょう。文 佐藤さとる.絵 村上勉.『おおきなきがほしい』. 偕成社.1971.p,18
さらに、絵本では、妹のかよちゃんが木の上のかおるの小屋まで上がって来られるようにしている工夫のことや、かおるの小屋で過ごす春、夏、秋、冬の様子がくわしく描かれていくので、ぜひ、絵本で見てみてください。大人になった今でも、かおるの木のことを考えると自然に胸が躍って、こんな木で暮らしてみたいなあなんて思ってしまいます。
さて、そんな大人もワクワクできる、かおるの大きな木ですが、いったい、ヨガとどのようにつながっているのでしょうか。
サマディーに生えている木

かおるの大きな木は、現実に生えている木ではありません。現実のかおるの庭には、木登りもできないような小さな木が数本あるだけなのですから、かおるの小屋があったり、てっぺんに見晴台がついている大きな木は、かおるの空想の木です。
だからといって、ヨガでは空想の木を「現実には存在しない木」という一言では終わらせません。ヨガでは、その人の心に映った心象こそが、その人にとっての世界だと考えます。かおるの心の中には、イキイキと、大きな素敵な木が生えていますよね。だから、ヨガ的に考えれば、かおるにとって、大きな木は確かに生えている木ということになるのです。しかも、かおるの心の中に生えている木ですから、どこまでも自由です。
現実に、木の枝の上に小屋を建てたり、てっぺんに見晴台を作るような大きな木を庭に植えたりするのは、なかなか大変ですよね。そこまで立派な大きな木を生やせるほど広い庭を持っている家は、なかなかないかもしれません。
けれども、心の中の木は、そんなことは全く関係ありません。かおるが好きなだけ太く、大きく立派にできますし、素敵な小屋だって作り放題。ヤマガラやリスと、いくらでも仲良くできてしまいます。心の中に生えている木だからこそ、どんなものにも縛られていないのですね。さらに、かおるの心の中に生えている木ですから、どんなことがあっても倒れません。
現実の木は、台風や災害、戦争などで倒れてしまったり、燃やされてしまったりするかもしれません。けれども、心の中の木は、台風や災害、戦争などで倒れたり、燃やされたりしないのです。
現実でどんなことがあろうとも、心の中の木は強く、たくましく、美しく、そよぎ続けます。心の中に生えている木は永遠なのです。
ヨガでは、どんなものにも縛られていないどこまでも自由で、永遠の世界のことをサマディーと呼び、ヨギーはサマディーに到達するために修行をしているわけですが、かおるの心の中の大きな木こそ、サマディーに生えている木といえるのではないかな、と私は思ったのですが、みなさんはいかがでしょうか。
想像力という明るい光で照らされた作品

著者の佐藤さとるは、『ファンタジーの世界』という本の中でこんな風に書いています。
だれの心の中も、広がりと奥行きは底知れないほどのものだと思うが、暗くて見通しがきかないのでは狭いのと同じだ。心象世界を照らす光は想像力である。
佐藤さとる.『ファンタジーの世界』. 講談社.昭和53.p,82
佐藤さとるは想像力という明るい光で照らされた自由な楽しい心の世界を、数多くのファンタジー作品や絵本という形にして、私たちに贈り続けてくれました。
それらの作品は決して、子どもだけに向けて書いたのではないと、本人が語っています。
「子供に向かって書く」ということがよくいわれる。そういう姿勢は、たしかに考えられるのだが、この場合、比喩的にいうと、子供と作家は向き合ってはいないはずである。お互いが同じ方向を見ていなくてはならない。子供を見ながら、じつはその向こうにある人間を見ているわけで、そういう場合にのみ、すぐれた児童文学を生む可能性があると私は思っている。
佐藤さとる.『ファンタジーの世界』. 講談社.昭和53.p,151
佐藤さとるは、子どもはいつか大人になるし、子どもでなかった大人はいないから、子どもを含む全ての人間に、私は本を書いているのだと書いています。
だから、『おおきなきがほしい』も、子どもを含む全ての人間に向かって贈られた絵本なのです。
というわけで、大人のみなさんもぜひ、『おおきなきがほしい』を手に取ってみて下さい。ワクワクする楽しい時間を、絶対に過ごすことができますよ。









